電気のない生活と聞いてどんな感情を抱くだろう。
5年前の自分であれば、嫌悪感を抱いたかもしれない。それは電気がない、使えないことに対する不平不満と同時に、電気を使用可能な現代においてわざわざ電気を断つという行為が解せないという感覚である。
だが今では電気のない生活に憧れがある。それは身の回りの限られた資源でやりくりする行為の面白さを知ったからだ。
オフグリッド(ライフラインを断ち独立した生活様式)と環境問題を結びつける輩には疑問を呈するが、不便さや制約がある状況で工夫を凝らす時間は充足感に結びつく。何事も効率化が難しい「島」という環境がそれらを教えてくれた。
もし松島が電気の使えない島だったら、、と考えるとワクワクする。
しかし、もし本当にそうだったら自分が生まれた頃には廃墟だらけになり、現在では建物の跡形もなくなっているだろう。今の松島と私が出会えたのは、近年まで人が住み続けられる環境があってこそであり、電気が通っていたからと言っても過言ではない。
憧れは憧れであって、一定期間であれば対処可能な問題も日常生活となると難しいのは重々承知である。(人間の寿命も一定期間じゃないか!と自分の中の鬼コーチが囁くが無視してしまう。)
法定備品の携帯電話を所持していないと船にすら乗れないのだ。
(手漕ぎの船なら携帯電話なしでも乗れるじゃないか!と鬼コーチが囁くが無視。)
面倒なことこそやりがいや面白さがあると同時に莫大な時間を要する。
それに加えて最低限の賃金労働も必要である。生活最低限の年収を田舎で稼ごうと思うとこちらも莫大な時間が必要だ。
そんな理想と現実のギャップに悩まされる日々だった自分にチャンスが舞い降りてきた。